木元省美堂の社員が様々な話題をお届けします!
2022年05月24日
みなさまお久しぶりです。
企画開発部のおけらです。
記事を書くのをだいぶサボっておりました…。おゆるしくださいませ。
部活。何十年も前になりますが、想い出せるかな~なんて考えていたら、青春期のことって結構覚えているなものだなと感じました。
私の部活生活のスタートは、小学校5年生から始まりました。
友達に誘われるがままに入部した「吹奏楽部」です。
なんとなくでしたので、特に楽器に興味もなく、なんかカッコいい楽器を担当してみたいな~程度のものでした。
他のみんなは、明確に「これがやりたい!」とか、すでに習い事で楽器を所有している子もいて、みんなの主張が強かったことを覚えています。
そんな「なんとなく」で楽器を物色するも、なんかカッコいい楽器は人気があり、倍率が高く、そしてみんなの熱量も高い…うぅ。
ふと、目を部屋の隅に向けると、欠員が出ている楽器がケースに入ったまま、ぽんっと置いてありました。
「ユーフォニアム」という中型中音域の楽器です。6年生からも特に何も紹介が無く、聞けば2年間も欠員だそうで「教える人がいない」との理由で敬遠気味でした。
そんな「ユーフォニアム」でしたが、興味本位で楽器の姿を見たくなり、先生にケースから取り出してもらいました。
ケースから出てきたユーフォニアムは…金色でピカピカ!品位を感じるフォルム!一瞬にして惚れてしまい「これに決めた!」となり、顧問の先生にユーフォニアムの担当にしてくれと頼んだのを覚えています。
ただ、少し難点が…。当時130cmと身長が低かった私にとって、ユーフォニアムは大きい…そして重い。さらに、教えてくれる先輩がいない…。しかし、飛びついて選んでしまった以上、やるしかない!やってダメだったら、なんか考えればいいや。という気持ちでユーフォニアムを勉強することにしました。
最初はマウスピースの音出しから始めたのですが、まったく音が出ない。
トランペットやホルンのマウスピースでは辛うじて音が出せますが、ユーフォニアムのマウスピースは大きく(チューバという低音楽器はもっと大きい)、音出しするまで何週間も掛かったと記憶しています。
同時並行で取り組んだのは楽譜を読めるようになること。ホルンの先輩にベタツキで教えてもらいました。
音出しは自分で努力するしかありませんが、楽譜は人に教えてもらうことができます。
ひとりパートでしたので、色々なイベントに間に合わせるため、とにかく練習練習!特訓の日々が始まります。
休日は楽器を持ち帰り、山の中腹でひたすら練習した記憶がよみがえります(現在は住宅地になってしまいました)。
不思議なもので、自由にユーフォニアムを吹ける様になると、ユーフォニアムの美しい音色が好きでたまらなくなり、常に吹いていたくなり、ユーフォニアム中毒の様を呈してました。
5,6年生をユーフォニアムと共に、過ごしたと言っても過言ではないでしょう。
小学校を卒業し、家業の都合で東京に引っ越した先の中学校でも、吹奏楽部に入部することになります。
ここで、紹介したい楽曲があります。
風紋(ふうもん)という曲です。
1987年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲で、作曲者は保科洋さんです。
ユーフォニアムが目立つわけでもないのですが、緩急があって、奥深く今でも吹きたくなる曲です。
余談ですが、息子も小・中・高と吹奏楽部だったのですが、彼らの定期公演会でこの「風紋」が演奏され、選曲した先生もとても好んでいる曲だとのお話を聞き、あぁやはり吹奏楽に愛される名曲なのだなと懐かしい気持ちと、感動で心が満たされたことがありました。
是非聴いてみてください!
さて、中学でも吹奏楽部に入部した私ですが…なんと!!ここでもユーフォニアムが欠員という状態でした。
この中学校は、吹奏楽コンクール都大会でも金賞を取る実力がある学校で、ユーフォニアムが不在というのは由々しき問題でした。
通常、1年生はコンクールメンバーに選ばれることはないのですが、小学校でユーフォニアムの実績がある私は入部早々にコンクールメンバーに抜擢されることになりました。
嬉しい半面、同級生やメンバー落ちした先輩から、白い目で見られるようになってしまいました。
しかも、パートが一人ということもあり、複数人いるパートの音量に負けてしまうので、大きい音を出すようにいつも先生に怒られるという状況。知らない土地に引っ越してばかりで友達も居ないこともあり、気持ち的にキツかったなあ。
部活練習も平日は朝練、昼練、放課後練、有志で自治体に許可を取り、指定場所で練習できる夜練がありました。
日曜は朝から晩まで練習です。休み無しですので、部活を辞める子も多かったと記憶しています。
それでも「ユーフォニアムが好きだから」で、練習に打ち込み、大きい音を出すために走り込みをし、肺活量をとにかく増やすことに専念しました。
時が過ぎ、夏になるころには部活の厳しい環境化の中、部員達に連帯感が生まれ、助け合う仲間が周りに増えていきました。
引っ越し組の自分にとって、仲間が出来たのがとてもありがたく、精神的に助けになったと今でも感謝しています。
家族よりも密に時間を過ごし、部活時間だけでなく、時には夕飯もお互いの家でお世話になったり、試験勉強もみんなで勉強会を開いたりと、一生の想い出になりました。
駆け抜けた1年目の夏、吹奏楽コンクールの結果というと…
残念ながら「銅賞」でした。
やはり半年では「ユーフォニアム」の音量克服は難しかった…自分自身の課題は明確でした。
みんなで悲しみに暮れ、後日反省会がありました。部活的に金賞は至上命題でしたので、OBにメチャクチャダメ出しを喰らい、あまりにもひどい事をねちねち言われたこともあり、男性OBに飛びついて揉みあった事を思い出します。
若いころは理不尽な目上の人には、取り付き凄む性格でしたので、今では悶着があったことを恥ずかしく思います。
そんなこんなで1年目の夏が終わりました。
かなり長くなりましたので、ここまでで一度締めようと思います!
この後、私の人生は音楽に深く関わっていくのですが、すべてのきっかけは「ユーフォニアム」と「部活」でした。
楽譜も読めるおかげで、作詞作曲も出来るようになり、肺活量アップトレーニングのおかげで、バンドのボーカルになることもできました。
一見過酷な部活生活でしたが、人との関わり合いも含めて、今ではその経験が自分自身の財産になっています。
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