木元省美堂の社員が様々な話題をお届けします!
2021年04月13日
木々の緑が瑞々しさを増してきました。
通勤路にあるハナミズキが満開に近くてビックリです。5月頃に咲く花だと思っていたのに…。
ご機嫌いかがですか? 制作部のことことです。
このブログを読んで下さっている方は薄々感じていらっしゃると思いますが、私は読書好きです。
特にルポルタージュやノンフィクションを好み、海外・国内問わず事件事故を扱った作品は数多く読みました。…両者とも扱う内容によっては、何とも言えない重い読後感を持つ作品もありますが。
その中でも、自分に少なからず影響を与えた書籍を紹介したいと思います。
『マッハの恐怖』柳田邦男 新潮文庫 昭和61年初版(1971年に書籍化され、文庫化は昭和61年)
学生時代に図書館で借りて読んだ後、どうしても繰り返し読みたくなり、絶版だったためネットオークションで手に入れました。
皆さんは1966(昭和41)年が日本の航空業界にとって、どのような年かご存知でしょうか。この年は「航空業界の厄年」と呼ばれ、国内で5件の死亡事故が発生。中でも2~3月の1カ月で3件・300人を超える犠牲者が出ました。この本は当時NHK記者であった著者が取材を元に書いた、その3件の事故の記録です。
航空機事故が発生した場合、再発防止のために徹底した原因究明の調査が行われます。日本でも専門の事故調査委員会(当時は『事故技術調査団』)を設置し、『中立』な立場から事故調査が行われるはずでした。ところが1件目の事故に関して、機体の操作状態も不明なまま(事故機はフライトレコーダー・ボイスレコーダーが未搭載)、当初から事故調査団はパイロットの操作エラーを主張、調査会議の流れを誘導し最終的に多数決の原理を以て報告書を作成しました。一部のメンバーが目撃証言や機体・御遺体の状況から機体欠陥説を主張したにも関わらず、です。
事故調査団のメンバーは、当時の日本の航空業界の錚々たる面々で構成されていました。そのような人達が、機械無謬説にこだわり機体などの物的証拠を徹底的に調査せず、故人であるパイロット達に責任を押しつけたことに恐ろしさを感じました。
「操作エラー」という結論ありきで、都合のいい証拠だけピックアップしていく『調査』は、調査といってはいけないのではないか。
事故調査報告書とは、忖度も他者からの影響も受けず、機械の状況・目撃証言・遺体の損壊状況・気象条件など多角的な視点から導き出されるものだと思っていた自分には、衝撃的な内容でした。
一方で、その一月後に発生した航空機事故(富士山付近で山岳波の衝撃で機体が空中分解→全員死亡)は、別のメンバーが調査委員になり(ジブリ映画『風立ちぬ』の堀越二郎も一員)、多数の目撃証言・気象衛星写真・乗客の遺品などから「なぜ墜落したのか」という直接的な事故原因(機長の行動理由は不明のまま)を突き止めており、調査手法によりここまで差が出てしまうのかと複雑な気持ちになりました。
航空機事故とは規模も何もかもが異なりますが、我々もミスやクレームを起こします。
自分が当事者だったり検証する立場だったりしますが、この本を読んでからは、書かれていた内容を他山の石として対応するように心掛けています。まぁ、そうそう納得できる結論を出せる事は少ないのですが…。
人や事象に対して、先入観に囚われずに接することはとても難しいものだなと、日々悩んでいます。
この本、私は名著だと思うのですが、前述したように絶版なんですよね…。残念です。
ちなみに私は高所恐怖症で飛行機恐怖症です(必要なら乗りますが)。過去にイギリスからフランスへのフライトで、髪をおっ立てたジャラジャラボディピアスのパンキッシュな兄ちゃんとシュマッグを身につけた大柄なアラブ人に挟まれた席になり、しかも土砂降りの雨のため機体は揺れに揺れるという恐怖体験をしたのも一因です。
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