きもとblog
木元省美堂の社員が様々な話題をお届けします!

シリーズ「子どもの頃になりたかった職業(夢)」Vol.11

2020年11月10日

 みなさんこんにちは、いつもは「水道橋営業所の窓から」の文々です。

最近朝夜、冬のにおいがしますね。

さて、子供の頃の私といえば、ぼんやりしているゆっくりぺースの子だったようで。(今と変わらないですね)
昔から父に「お前は何になりたいんだ?」と聞かれることが多く、それが嫌で嫌でたまりませんでした。

そんな私の将来の夢は、コロコロ変わりました。
小学1~2年生くらいの記憶からしかありませんが、当時、宇宙戦艦ヤマトにはまっていて、戦艦ヤマトの乗組員になりたかった。

その後、小学校3~4年生の頃は、現実と虚構の区別がついてきて、ヤマトを描いた松本零士さんのようなマンガ家だったような?
5~6年生になって、よく捨て猫を拾っては育てていたので、卒業文集には「獣医さんになる」と書いていました。

中学になって、『風の谷のナウシカ』(原作)のクシャナ殿下や『平家物語』の木曽義仲に出てくる巴御前など、戦う強い女性に憧れ、それになれそうな演劇や女優という文字が頭に浮かぶようになりましたが、当時「球」と呼ばれていた自分の外見にコンプレックスが強すぎてダイエットばかりしていたのを覚えています。

いずれにしても両親からは常に「好きなものに励め」「その道で一流に」というプレッシャーがあり、興味を持つ対象が変わるたびに「飽きっぽい」と叱られて、とにかく自分を否定される。それが辛かった。

なので、将来何になりたいとうっかり口にするのがだんだん嫌になり、高校の進路を選ぶときにも普通科を選択し、父に「平凡に結婚して、いいお母さんになりたい」と言って(それは両親への当てつけでした)ひどく口論になった挙句に失望されたので、それからは将来について語ること自体しなくなりました。

自分も親になってみて、両親はいつもぼんやりしている私を心配していたのだろうと思います。でもそれが仇になったんですね。

何をしたいのか分からないまま自分とは何かを考えたくて大学で哲学を学び、なんとなく就職活動をし、大人になってしまいました。20代半ばで大学の同級生と結婚し、二人の娘の母親になりましたが、それは私のなりたい「職業」では無かったことに気付きました。自分の自由になる時間の少なさに、学生時代にもっともっと勉強すればよかったと後悔しました。

子育てしながら「ママ」ではなく「わたしはわたし」でいたい!と、いろいろやっては失敗して、その中で「人の役に立つこと」「情報を表現すること」が楽しくて「よりいいものを作りたい」と挑戦したくなると気づきました。

子育てが落ち着いてからDTPの勉強をしたのも、そのためのツールとスキルを増やしたいという想いからでした。

そして今、ご縁があって“総合プロデュース会社”木元省美堂にいるんだなと思います。

なんやかや、いろんな面白い人とつながって今が一番楽しいです。

結局「自分がどうしたいのか」を問い続けることで道が開けるんですね。

願い事はなるべく「ことば」にすることで、自分がその方向に向かって選択できる。そして周囲にも伝わるので情報やチャンスや協力者が巡って来やすくなります。向いている向いていないは、やってみないと分からない。

子どもたちにもそれだけは伝えています。

今「夢をもて」「何者かになれ」「一廉になれ」という呪縛から逃れ、ようやく将来が開けた気がしています。

「好きなこと」「やりたいこと」「なりたいもの」はコロコロ変わっても、共通した「自分が楽しむこと」と「挑戦しつづけたい」という気持ちを大切にしていきたいです。

目の前のことに集中しつつ、少しだけその先を探っていると次にやるべきことが向こうからやって来る。成長は一生つづく…そんな感じでしょうか。

みなさんは、いかがでしょう?

「将来の夢」に潰されないで、生きていきたいですね。

それでは、また。

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