木元省美堂の社員が様々な話題をお届けします!
2020年09月04日
バッハです。ドイツ系の名ですが初海外は英語圏でした。
20代後半に初めて海外へ行きました。目的地はアメリカ。それは洋画の影響が色濃く、他の選択肢はなく一択でアメリカでした。
80年代当時、洋画といえばアメリカ映画。洋画を劇場で観るようになったのは中学生の頃。地元の映画館は2本立てで、今では考えられない1500円程度。入れ替えもなかったので1日中映画館にいることができました。目的の映画より同時上映の映画の方が面白かったなんてこともあり、この経験は監督や出演俳優ではなく、作品それ自体を楽しむというその後の鑑賞姿勢にもなりました。今も監督、俳優で、鑑賞作品を選ぶことはほとんどありません。そうやって映画を観るたび、期待を裏切らない面白さにアメリカ映画はスゴイ=アメリカスゴイになり、アメリカへの憧れが強くなっていきました。
映画熱は社会人になってからも冷めることなく、週末の会社帰りには映画を観てから帰宅することが多々あり、当時は広場を囲んで10館ぐらい映画館があった歌舞伎町で、土日は1本観終わると広場の反対側へ行って、次は隣というように、映画館のハシゴも毎週のようにしていました。
アメリカ行きの原動力になった映画はアメリカの実在の宇宙飛行士7人と1人のパイロットの映画。そのパイロットが音速飛行を実現するところから映画が始まります。宇宙飛行士の活躍が華やかに伝えられていく中、誰に注目されることもなくは黙々と自分の仕事を続けるパイロット。全編を通して差し込まれるそのパイロットの仕事に対する姿勢が思春期の自分にとってのヒーロー像となり、初の音速飛行をした機体が見たいという思いと、当時日本にはなかったユニバーサルスタジオや他の映画関連施設を訪ねたいという思いが高じての出発でした。
到着したアメリカは、人はもちろん、目に入るものすべてが大きい。
地下鉄にはすでにsuicaのようなものが導入されていたり(ぺらぺらの紙でしたが)、現地の公衆電話にはカード挿入口がないのに日本と同じようにテレホンカードもありました。使い方はカードにあるダイヤル番号にかけて、次にカード番号を入力すると料金分通話ができるという仕組み。物を新しくするのではなくあるものを工夫して使えるようにするところに発想力の違いを感じ、慣れないチップに悩み、これは差別なのかと思われるような体験もありましたが、つたない英語でも特に困るようなことはありませんでした。
フロリダやシカゴ、サンフランシスコを訪れ、ラスベガスでスロットを回しても大金を手にできず、シアトルで、まだ日本に出店されていなかったスタバ(現地の普通のコーヒーショップだと思ってたのに、こんなに有名になるなんて)へ行き、お目当の機体があるワシントンD.C.のスミソニアン博物館へ。
間近で見られると思っていたら高い天井に吊り下げられていて、対面した感激よりも「遠い…」という残念な感想でしたが、現地にはホワイトハウスやFBIなど他にも多くの施設があり、身近にテロの脅威もコロナもない時代、どこも手軽に無料で見学ツアーに参加できました。
憧れの地を1ヶ月ほど巡り帰国。国内移動は主にバスで、車窓からの景色はほぼ自然。移動時間の長さに国土の広さと自然の豊かさを実感した旅でした。
今はコロナの影響で海外どころか映画館からも遠ざかった生活。自宅のパソコンで映画を観てはいますが、大画面と大音響が恋しい今日この頃です。
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