お久しぶりです、文々です。
今日は七夕ですが、生憎の泣き出しそうな曇り空。
いつもこの季節はこんな感じですね。
雨ということで、最近感動した一編の詩を紹介したいと思います。
雨あがり
雨あがり
羽根のあるものたちはみな
飛んでいってしまった
ちぎれた枝が
土の上に
転がっている
空がようやく
その瞳を開きはじめる時
残されたものたちの
涙が
あちこちで光りはじめる
(詩・写真)いとうゆうこ
いとうゆうこ さんは、私の尊敬する詩人さんのおひとりです。
「雨あがり」は、今年の秋に上梓予定の「ほんとうのなまえ」(てらいんく)から引いた一編です。
私が、はじめにこの詩を読んで心に浮かんだのは、香港の雨傘運動のことでした。
香港は今、一国二制度を主張し、民主化を求める学生や若者を中心とした社会運動が、中国の国家安全法が施行されたことで当局から弾圧され「独立」と言う言葉を発しただけで逮捕され命の危険にさらされる厳しい状況におかれています。そのため、運動をしていた人もそうでない人も中国の支配から逃れたいと思う中で可能な人は、国外へ脱出したり亡命を余儀なくされる事態となっています。
※詳しくはこちらなどを参考に
【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景 BBC NEWS
もともと、香港で度々起こる学生と香港警察との衝突で、学生たちが催涙弾を避けるため雨傘を用いたことから名前がついた「雨傘運動」でしたが、国家権力に屈する形で、強制的に雨傘はたたまれてしまいました。
親戚が香港に長年住んでいるので、現地の様子などを伝え聞いていることもあり、そんな厳しい雨あがりの風景を、この美しい言葉の中に感じました。
そしてまた、週末から続く九州地方の水害のニュースを視る度に、この詩のことばが思い出されます。
雨は自然の恵みでもある一方で、災害をもたらすこともあり、優しさと恐ろしさの二面性があることを思い知らされます。
新型コロナでも、わたしたちの生活は一変してしまいました。
世界経済のグローバル化と移動の自由がもたらしたウイルスの伝播ではありますが、大きな時間の流れの中では、人間の力の及ぶ範囲は実はとても小さいのかもしれないと感じます。
さて、当の本人に、詩の背景を聞いてみましたが、教えてもらえず、いろんな解釈、いろんな連想をしてもらえれば嬉しいとのお答えが。
確かに、詩人にとっては、自分の詩が誰かの中で全く別の物語として再生されるのは詩人冥利につきるかもしれません。
かくいう私も詩人の端くれだったりします。
ぼおっとしていないで、初めの一冊を、当社の組版と印刷で出せたら…などと思ったりしています。
今夜、短冊には「詩集を出す」と書いてみようか、と思いつつ、災害に遭われた方の境遇を思うとそんな気持ちにもなれない今日この頃です。
ここ数年の各地での水害は自然からのメッセージなのでしょうか。
とはいえ悲しみの中にいる方々に幸あらんことを、星に祈りを…。
それでは、また。