木元省美堂の社員が様々な話題をお届けします!
2022年04月26日
YOです。
中学生時代の部活は軟式テニス部です。
ですが…楽しい記憶がないので書くにに能わずといったところです。
高校生時代は立地条件がアレなので帰宅部でした。
『中高生時代のクラブ活動の思い出』ということですが、敢えて『小学校』5年生の頃の「合奏クラブ」の思い出にしてみました。
ただ懐かしいなぁ〜な文章です。
正式の音楽担任?の先生はガチな吹奏楽部を指揮しておりました。
小学5年生の時に、副担当?の優しい先生のもと、ちょっと楽器を触ってみたい生徒の集団が奏でる感じのクラブへ入りました。
…とは言っても『クシコスの郵便馬車』とか『シバの女王』とかの曲名を記憶していて、それなりに楽しく練習したのが懐かしいです。
当時はピアノも習っていたので楽譜も読めました。今じゃ驚くほど読めない…そもそもピアノがもうありません。
自分の担当楽器は何の因果かバスアコーディオン。
でかい・重たい・主旋律から程遠い。
1人だけのボッチパート。
…言いたい放題ですが、文化祭みたいな発表会の時にはピアノ担当(6年生・先輩)の方と二人だけで演奏するパートが有ってドキドキだったのを覚えています(…が曲名は忘れた)。
小学生でしたが結構真面目に楽しく練習した良い思い出です。
このネタを書いていて関係ない?(関連してる?)ことも色々ジワジワ思い出しました。
でも暗黒の6年の頃の記憶がない…
小学校5年生の頃は教室が囲碁将棋クラブで使用されているためか担任の先生がそうだったのか、囲碁or将棋盤と碁石や将棋の駒などがあったので、休み時間に『まわり将棋』をしてよく遊んでいました。
これは楽しかった思い出です。
将棋の駒を用いて遊ぶ双六に似た遊びで、確か何かの同一の駒を4つほど使用し盤上でサイコロの代りに振り、出た目で将棋盤の外側の升目を進むのです。
そこで負けの込んだ友人が起死回生?奇跡の100コマ進むを出したのは忘れられない思い出です。
駒の鋭角部分で立つと100だった記憶が…奇跡です。
でもそんな小学校も5・6年ぐらい前に廃校に(涙)。と言いつつ小学校は東と西とであったけ、どっちだっけ?
って、転校して2年間通ったのですが、それ以前の小学校の方が好きなもんでして。立地条件から考えたら西小でした。
統廃合の末に廃校になりましたが建物はまだ残っております。
記憶のサルベージュちょっと良いですね、そんなネタが多いYOです。
番外・音楽室の思い出と言うか、そのクラブで一緒だった友人が『叩いたらお仕置き・音楽室100往復の刑』を覚悟で(?)ティンパニー叩きました。
叩いたのが即バレでお仕置きは速やかに実行されました。
因みに、ティンパニー叩きと100目を出したのは同一人物です。
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